暗い道を歩く明るい光をつけよう

曲が終わると「小走り」を朗読する。
「言葉とは音や文字だけでなく、体の言葉『ボディランゲージ』がある。ネパールにこういう体の言葉がある。(頭をぐらぐらさせる。)ネパール人に意味を聞いてみたけど、組み合わせによって違う意味を持つらしい。日本でもネパールの「首ぐらぐらっ」のように、街に特有の光景を作っている体の言葉がある。例えば、『お辞儀」。エレベータが閉まる瞬間のお辞儀まである。エレベータの扉が閉まる瞬間と顔が視界から消える瞬間を見事に合わせて、「どうもありがとうございました。(扉が閉まる)」。なんて完璧なタイミング。そして、『小走り』。小走りのスピードは歩くのとほぼ変わらないけど、姿勢だけ走る形となっている。おそらく小走りは、謙虚さをあらわす日本の素晴らしい言葉だと思う。
ニューヨークの街で横断歩道を渡る黒人の友達と僕を待つ車がいた。日本人の僕は、小走りで謙虚さを示しながら横断歩道を渡る。すると、黒人の友人が「走らなくていいよ。こっちは渡っているのだから、向こうが待つのは当たり前だ。」と言う。たしかに、黒人たちはゆっくりと歩いている。黒人は、昔、奴隷だった。白人のご主人様に何か頼まれた時は、小走りをして謙虚さと働く姿勢をアピールする必要があった。しかし、解放運動により、小走りをしていた時代を終わらせ、勝ち取った権利をゆっくりと歩くことにより主張する。
さて、日本の「豊か」という言葉には、「ゆたゆた」とか「たゆたう」という言葉がつながっている。ゆっくりと急がなくていいという豊かさ。よく新聞では、日本は豊かな国といわれている。確かに日本はお金を持っている。しかし、言葉の本来持っている意味での「豊かさ」を持っているだろうか?今の日本は、ゆっくりと悠々としたリズムで歩けているだろうか?せかせかと動くことが悪いわけではない。それが社会のリズムなら別に構わない。けど、新聞が「日本は豊かな国です」というのは、意味がずれている気がする。
黒人に限らずアメリカでは、自分のペースでゆうゆうと生活するのが『豊かな生活』という価値観がある。お金がなくても、ゆっくりと悠々としたリズムを忘れない。そんなことを日本の友人に話すと、日本でもゆっくりと道路を横断する人たちがいるという。それは、お婆さん達。確かにお婆さんたちは、周りをいらつかせながらゆっくりと道路を渡る。それは、せかせかした世の中をゆっくりと歩くことで、豊かさを抗議しているのかもしれない。
ちなみに僕の黒人の友人は、その後、小走りに目覚めたらしい。今頃、どこかで誰かに話しているかもしれない。「権利ばっかり主張しては駄目。時には権利を捨てて、小走りしないと。俺の日本人の友人が・・・」


嵐の音と共に、メトロノームが鳴り出し、「嵐(新曲)」が演奏される。この新曲は、アルバムで言えば『eclectic』的という感じ。次はひふみよコンサートで発表された「イチゴが染まる」をしっとりと歌い上げたあと、今回のツアー発表のときに、やると宣言していた結婚拒否曲「それはちょっと」。この曲は、Life期の小沢健二のキャラクターとマッチしていて、「女の子に結婚を迫られて、君のことは大好きだけど僕はわがままだから結婚は無理!」と拒否る歌詞が最高に面白いのだが、まさか改めて今のオザケンがコンサートで演奏するとは思わなかった。


次の朗読は「Believe」
アメリカでスポーツ観戦へ行くと「Believe」という文字が横断幕やT-シャツの胸などに書いてある。自分の力や勝利を信じることができないと、大きな力を発揮することはできないからだ。そして、「Believer」という言葉は、前向きな言葉として使われる。信じる対象が問題ではなく、信じることが未来を拓く力となるということ。
Believerを日本語で直訳してみると「信者」。日本での使い方は、あまり良いイメージで使われない。例えば、「あいつは○○信者だから!」とか。信者という言葉は、すこし悪いイメージで使われる。
ある日本史の本に「日本で世直しを願う民衆の情念は、常に宗教の形をとる」と書いてある。
では、もし僕が日本の支配者となったらどうするだろうか?クーデターは常に宗教の形をとることを知ったとき、宗教の力を封じるために宗教は悪いことだという世論を作り出そうとするだろう。「信じることは馬鹿がすることだと。スポーツでは、これを敵のチームが行う。相手に力を出させないために、「信じるな、信じても無駄だ」と相手に囁きかける。
信じるという熱情は、恋愛と似ている。信じられるなら、恐れずに信じる。自分を信じて9回裏の攻撃に望む人のように。僕ははそんなBelieverの味方です。」


メトロノームが鳴り出し、ギターにベースが加わり「天使たちのシーン」が演奏される。
『神様を信じる強さを僕に、生きることを諦めてしまわないように』としっとりと歌い上げると、「おやすみなさい 子猫ちゃん」へ。「女の子!」「男の子!」「3階席」「2階席」「1階席」「オペラシティ」の掛け声と共に、「Where do we go? Where do we go hey now?」の部分を「どこ行こう どこ行こう、今」と変えて会場で歌う!改めて思うのは、女性の声が圧倒的に多い。是非「子猫ちゃん!」と叫んでいただきたかったけど、流石にそれは無かった。やって欲しいような、欲しくないようなどきどきした気持ちで待ってたけど。「ホルモンタンクの人!」「涙ラブリー(ほくろ)の人!」とか。そして次の曲は「BACK to BACK」。後期シングルの発表時期は、コンサート活動やTV出演を精力的に行っていなかった時期と重なるため、こうやってコンサートの形で聞けるのがとても嬉しく、懐かしさで興奮してしまった。