何もないことへの目晦まし

■等価交換
何かを行うことに対して、支出に対してどのくらいの効果がでるのか?を基に判断している。
「やるのはいいけど、どのくらい役に立つの?」とか「我慢してやったら、いいことあるの?」とか。
判断根拠は、等価値以上のもの。それに満たないものはやる必要がないこと。
「それって正しいことなのかな?」って最近になって考えた。


自分の中で決められた価値って、本当に合っているのだろうか?
取るに足らないものと判断されたものって、今の知識や環境で判断される。
「この勉強は将来役に立たない」「やりたいことを我慢してまで、この科目を勉強することに意味がない」
小学校や中学、高校と、勉強に対してそう思っていた人は、少なからずいると思う。
それって、学生の時の価値観で判断されしていいのだろうか?その質問は時間が止まった中でしか通用しない。
価値が変わらないものでなければいけないのだ。まるで品物を通貨で買うように。


時空という軸を追加して考えなければいけない。
価値は変わるのだ。それは価値もわからずに行動した後に、初めて気づくことからも知れない。
ある本を読んでそう思った。

岡村靖幸ツアーにいく。
最高でした。あのころの岡村ちゃんが確かにいた。念願の「ヘポタイヤ」も歌えたし。
大雨の中いった価値がありました。去年も雨だったらしく弾き語りの時に、
「名古屋ベイベー お願いだから、晴れ女になってくれよ 俺も努力するからさ」と歌ったのには笑った。