情報過多は驚きを少なくさせるのか?

fredstar772005-10-30

朝帰りの後は、軽く寝てロベール・ドアノー展へ出発。
昼飯は、一週間前のオープンする前に行ってしまって食事をすることが
できなかった「セントラルスクエア静岡」へ行きリベンジを果たす。
真鯛の活き飯を食べてご満悦でグランシップへ。


エスプリの効いた写真とは、ドアノーの写真がそのままズバリだ。
大きな好奇心をもってパリを撮り続けたドアノーの写真は考えさせられる。
もちろん写真の構図やピントの位置、カメラマンの存在感と
どこまで写真に自分を出すか?あとタイトルによる写真を観る側に対する影響度。


しかし、一番の衝撃は生涯パリから出ず
毎日パリだけを撮り続けたこと。
伝書鳩が地図を読むことを覚えたとしたら
 きっと方向感覚をなくしてしまうだろう。
 自分にとって大事なことは、大きな好奇心を持って
 パリの雑踏の中を自由に歩くことだ。」
情報過多の時代で、好奇心を保つことは難しいのか?
まだまだ僕は知らないこともあるし、知りたいことはきりが無い。
しかし身近な事を軽視して、どこか遠くにしか好奇心を
保つことができないと考えてないのか?


今住んでいる街、身近な人。
この角を曲がれば何があるのか?とドキドキしながら
歩くことを無くしたくない。