流線型事件

レトロフューチャーなんて言葉が、20世紀末によく使われてた。
「未来」に「レトロ」という反対の意味を持つ言葉をつけることになるなんて全く想像できなかった。
いつからだろうか? 未来が懐かしくなったのは?


子供の頃、未来が待ち遠しかった。
宇宙旅行、空飛ぶ車、時計型の通信機、透明なドームに囲まれた都市、すべてがピカピカに光った輝かしい未来。
「学研の科学」に未来の歴史の授業で、現在の僕達が鉛筆やノートを使っている学習風景を未来の小学生達が笑いながらみてる描写があって凄く羨ましかった。「もう少し遅く産まれていれば良かったのに」と本気で思ってた。
ある日、ノストラダムスの予言の年(1999年に)自分が何歳になるか計算してみた。
自分がまだ生きている時代に、21世紀になることに気づき凄く嬉しかった。
(地球の最後に立ち会うってことはものすごく不安だったけど・・・)


パオパオチャンネル」という番組の1コーナーに「ピッカピカ音楽館」というのがあって、「車にはタイヤがなんてない うるさい音や排気ガスもバイバーイ そんなの当たり前さ〜21世紀」という歌があった。
ドラえもんを観てきた僕達にとってびっくりするような珍しい描写じゃなかった。
「そんなの当たり前だよ」と当然のこととして受け入れていたんだ。
世の中にある暗い不安(環境問題や資源問題)なんて科学の発展によりすぐ解決し、素晴らしい未来が待っているはずだった。


スペースシャトルが好きだった。
科学=NASAだった。NASAという言葉にすごく憧れた。
(イベントで食べた宇宙食は凄く不味かったけど、「これが食べれない奴は科学の進歩についていけない」という気がして無理して食べたっけ)
図工の授業で粘土細工の時は、嬉々としてスペースシャトルを作って教室の後ろに飾っていた。
しかしスペースシャトル本体?は作ったけど、あの大きな燃料タンクや発射台は作らなかった。
宇宙に行くためにたくさんの燃料を消費し使い終わった燃料タンクを切り捨てて進んでいく姿は美しくなかったし、発射台にしがみついて立っている姿はカッコ悪かった。(燃料タンクの方が大きかったし、蝉みたいで情けなかった)
この頃には、未来が理想からずれてきた事に少しずつ気が付いていたと思う。


21世紀が始まって、もう8年が経つけど僕に未来はまだ来てない。
いつからだろうか、流線型がレトロになってしまったのは?
未来が僕を、少しずつ裏切り始めた。


ということで、今回の1曲
DAFTPUNK「Around The World」