全共闘世代のナンセンスだ!ニャロメ!

赤塚不二夫が亡くなりました。


サラリーマンをしながら「漫画少年」へ投稿し、石森章太郎主宰(このとき石森は高校生!)「東日本漫画研究会」(同人の漫画研究会)の肉筆回覧誌「墨汁一滴」に参加。トキワ荘メンバー(手塚治虫藤子不二雄石森章太郎つのだじろう寺田ヒロオ鈴木伸一水野英子園山俊二他)の中でもなかなか芽が出ず、少女漫画家として不遇の時代(石森の手伝いばっかり)を経て「ナマちゃん」で初めてギャグ漫画家としてデビュー。その後はとんとん拍子に売れっ子漫画家へ!また他にも、いずみあすかという名前で石森と合作、ユーマイアという名前で石森と水野と合作もしてます。
少女漫画化時代の作品「嵐をこえて」「嵐の波止場」は、日数が足りず背景を書く時間が無かったため、石森のアイデアで斜線をひき嵐にすることで間に合わせ嵐シリーズを作ったという逸話もあります。(もちろん持ってます。再発だけどね・・・)
とてもハンサムでモテタたらしく、他メンバーのトキワ荘回想録漫画でも多くそんな描写が見られます。
僕にとっては「天才!バカボン」がものすごく衝撃的で、ドラえもんなどの生活ギャグでは見られないどぎつい描写におっかなびっくり笑っていたのを思い出します。


全共闘系学生と機動隊8500人が衝突した後の東大安田講堂には「おそ松くん」が連載されていた少年サンデーが読み散らしてあったそうです。
たぶん、ここらへんの人がナンセンス・ギャグと名づけたんじゃないかなと思ってます。
ナンセンスは全共闘世代の合言葉みたいなものだったし。
ギャグ漫画に革命をもたらした人だと思います。
この人がいなかったら、タモリさんはただのボーリング場の支配人だったのです。
ジャズピアニストの山下洋輔に地方で出会った面白い奴(タモリ)の話を聞き、飲み屋の常連メンバーで東京へ呼び寄せ得意の密室芸(四ケ国語麻雀、ハナモゲラ語)などを披露。「こんな面白い奴を田舎へ帰しては駄目だ」と赤塚不二夫が自宅に居候をさせ小遣いもやっていた。
黒柳徹子も「こんな面白いなら、今度あたしの番組に出してあげる」と言って「徹子の部屋」へ出演、以後毎年お礼の意味を兼ねて出演をしている。

また一人という思い、ご冥福を祈ります。



それでは、今回の一曲
Black Kids - I'm Not Gonna Teach Your Boyfriend