小沢健二「ひふみよ」ツアー@中京大学オーロラホール 破

暗闇の中でギターがかき鳴らされて「な〜ご〜や〜」と叫んだ後、「ひぃ、ふぅ、ひふみよ!」のカウントとともに「流星ビバップ」が演奏される。観客全員が13年分の思いを叫ぶように大歓声が起こる。「13年間待ち続けてたよ、嘘。もう二度と会えないと考えてた。」なんて思いを噛み締めながら、手拍子を打ちながら曲間で「HEY!HEY!」という掛け声。あの頃より少し力強くなった歌声で一番を歌い終わると演奏が止み、暗闇の中で朗読が始まる。
その内容は、2003年夏の日の夕方、NYの大停電の夜のこと。
「帰れなくなった人たちやホームレスが集まって、街中の路上でパーティを始めた。電池で動くラジオやCDプレイヤーから音楽が流れ続ける。その暗闇の中で音楽は甘くいつもよりくっきりと聞こえ、演奏している人や歌詞を書いた人の気持ちが雪の上の足跡のようにはっきりと見える。そして同じ暗闇の中に同じ音楽を聴いている同じ気持ちの人達がいることを感じることができる。普段とは違う世界で、違う世の中が見える。明日は電気が復旧して、みんな元の生活に戻っていく。だけど真っ暗闇の中で音楽を聴いていたこの日のことは絶対に忘れない。」
朗読が終わり「ひぃ、ふぅ、ひふみよ!」のカウントと共に、再度「流星ビバップ」が演奏される。
暗闇の中で聞くこの曲には、好きな歌詞がたくさんある。
「時は流れ傷は消えていく それがイライラともどかしく
 忘れてた過ちが 大人になり口を開けるとき
 流れ星探すことにしよう もう子供じゃないならね」や
「僕達が居た場所は 遠い遠い光のかなたに
 そうしていつか全ては優しさの中へ消えてゆくんだね」とか
そして朗読の中にあるように、暗闇に中でこの曲を聴く人たちをすごく身近に感じた。ホール全体が一つになったように気がした。前から楽しみにして今始まったばかりのライブだけど、始まると終わりも近づいていく。明日になればこの時間を共有した人たちとは会うこともないだろうし、僕自身も普段どおりの生活に戻る。そんなかけがえのない時間にいるのだなぁと思った。
暗闇のまま次の曲「僕らが旅に出る理由」へ。
「もしかしてずっとこの暗闇のままライブをするのか?」なんて考えが頭の中をよぎると、「遠くまで旅する恋人に〜」というサビの歌いだしと同時にステージに明かりがつき大歓声があがる。暗闇になれた目に、まぶしさと共に現れた小沢健二はあの頃のように歌っていた。ギターを抱えて体を横に振るように歌うしぐさや、両手で観客を煽るようにして耳に当てる仕草。そしてその横で踊るHicksville真城めぐみ。僕は両手を発作的に高々と挙げてしまって、我に返り慌てておろした(手を挙げてはいけないという条件付の席なので・・・)。その場に居る僕も、タイムマシンのようにあの頃に戻ってしまったみたいだった。そして曲が終わると、ドラムがタムが刻みだしそれにBrassが絡みあうような音楽と共にに朗読が始まる。
「長くあちこちを旅行すると見慣れた風景も違う目で見るようになる。そんな旅行者の目で見ると、日本人の顔はメキシコ風やインド風、中国風などいろんな種族の血を感じる。国境が無いころの僕らは、鳥や猫のように土地から土地へ移動していった。そんな日本列島に移動してきた僕らのご先祖達は、特別な言葉を残してくれた。すべての言葉を平仮名、片仮名、漢字の3種類の言葉で書くことが出来る。そんな言葉は滅多に無い。
僕らのお婆さんは「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いつ、むぅ」と数える。ひの倍をふ、みの倍をむ、よの倍をや。いつのつで倍をと。
「ひふ」はハ行で、「みむ」はマ行、「よや」ヤ行で、「つと」はタ行というように、数字を音で捉えてた。数は関係して存在しているという考え方。そんな考え方から数学が産まれていたら、どういうような世界になっていたのだろう?
私達の世界は、ただ歴史の積み重ねにより今の世の中が普通となっているだけで、全然違う世の中だってあり得た。僕らは時々そういう全然ちがう世の中のことを思う。そういう想像力が世の中を作ってきた。僕らの想像力には限りが無く飛び立とうとする。なにかにぶつかる。それでも飛び立とうとする。」


朗読を終えると、手を振って合図し音を止める。
ギターが鳴り、ドラムのフィルインと共に「天使達のシーン」が演奏される。
10代の頃から何度も繰り返し聞いていたこの曲は、美しい自然描写の歌詞をたんたん紡いでいくように歌う元のメロディから、力強く歌い上げるような印象のメロディに変えて唄われた。「ラジオから流れるスティーリー・ダン 遠い街の物語話している」の部分を「ラジオから流れるいちょう並木 この街の物語話している」なんて歌詞も変更されていた。トランペットやオルガンが凄く気持ちよく響き、軽やかなピアノがセンチメンタルで力強いこの曲に彩りを与えていた。
そして「苺が染まる」の曲紹介の後、待望の新曲が演奏される。
ステージが木の葉模様のライトで照らし出され、赤いスポットライトに小沢健二が包まれる。苺が種からひとつの夜毎に育っていき、苺が染まるとあなたが喜んで見に来てくれる。そしてまた夜毎に時が過ぎていく。苺の枯れた枝をとり、土を耕し感謝をささげる様子を叙情的なメロディで唄っている。まるでチェコやロシアの絵本を見てるような儚い気分になった。
そのまま流れるように初期代表曲の「ローラスケートパーク」〜「東京恋愛専科-または恋は言ってみりゃボディー・ブロー」〜「ローラスケートパーク」と変則的に演奏される。パーラーラの部分で(ちっちゃく)手を振りながら、違和感無く曲が切り替わっていくの感じて「この2曲は似てるなぁ」って初めて気づいて少し笑った。それまでのしっとりした雰囲気を吹き飛ばすように会場のボルテージが上がったところで、「ラブリー」のイントロが流れ出す。「皆さんがお待ちかねのこの曲は、あと1時間後に歌います」とオザケンが言い終わらないうちに会場全体にブーイングが起こる。「13年間待ってたんだから、1時間ぐらい待てるでしょ?」と切り返しドッと笑いが起きる。「今の気持ちを高らかに歌い上げるために、新しい歌詞にしてある部分があります。その部分を今から練習して、このあといろいろな曲があって、そのあと叫んでもらいたいと思います。」と言う事で、歌詞の変更部分を「絵は(指で四角く図形を描き)の絵です」なんて身振り手振りで説明したあと練習開始。
「それでLife comin' back 僕らを待つ」の部分を「それで感じたかった僕らを待つ」
「Lovery Lovery Way Can't You See The Way? It's A」の部分を「Lovery Lovery Way 完璧な絵に似た」に変えて何度か唄う。