文化論



1.文化って何か?
まず文化の定義に関して共通の認識が持つためにありきたりではあるけれどWeb辞書等で調べてみると、
goo国語辞典
「社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。」
Wikipedia
「人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系」
この二つを見てみると、人間の生活そのものが文化と言えそうだ。それに「長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系」というのであれば、動物にだって生活環境(餌や天敵、棲み処等)の違いにより同じ種類であっても生息している土地毎に文化があるとも言えそうだ。
文化は人間が住んでいるところなら全てにあると言えるので、まず「静岡は文化不毛の地である」という前提が間違っていることとなる。
かといって以上を説明して、「このことから静岡には文化はあるのです」と終わりにしては結局根本的解決にならずなにも変わらないままである。
ここでは人類が生んだ文化のうち、文学、芸術、学問や宗教など高い成熟度を示しているものを文化として語りたいと思う。
それでは仕切り直して、文化とはいったいどういうものなのだろうか?
基本的には、娯楽から生まれ定着し体系化されたものと考えます。文学、芸術はもともと娯楽であるし、学問と宗教は類似性の高いもので人々の生活を支え豊かにする道徳(教訓)ではあるが、それに伴う聖書やラーマヤナなどの物語や儀式である祭は娯楽性の高いものが多い。
また、それを楽しむ人数も重要と思われる。個人単位で行っているだけでは唯の趣味嗜好となってしまう。ある程度以上の人数で表現者(指導者)と観客(追随者)で構成される集団となり、ある程度以上の期間を経て成熟度が高まって生まれたものが文化と呼ばれるのではないだろうか。


2.派生性文化と閉鎖性文化
文化の生まれ方について派生性と閉鎖性の2つに分けて説明したい。
まず派生性について。
これは人の出入りと共に持ち込まれるいろいろな趣味嗜好のモノや人が集まることによりお互いに影響しながら生まれていく文化であり、都市など人が集まるところに多く見られ、これが成熟し大きくなることによりそれを目的としてまた人が集まっていくという相乗的な傾向が見られ、それに伴いどんどん派生的に発生して生まれていく文化。
次に閉鎖性について。
他所から閉ざされることで、内から生まれる独自性の高い文化。
江戸文化や沖縄の文化が代表的なもの。鎖国や島国など交通の便が悪く閉ざされた空間となることによって、外界からの影響を少なくすることにより、独自に解釈または娯楽の少ない環境からそれを求め自然発生的に発展し生まれる文化。地域性がみられ習俗的なものが多いのが特徴。また、現在は交通の利便性の向上やテレビやインターネット等のツールの発達により時間差がなく情報が画一的に伝わりやすくなっており閉鎖性文化は生まれにくい状況となっている。


3.静岡に文化を生まれないのは
文化が生まれるのに前項で説明したとおり大きく分けて2つのパターンがある。これをもとに静岡が文化不毛となる問題点を説明したい。
まず派生性について静岡という土地を考えてみると、東京-京都を結ぶ重要な路が通っており東海道53次にあるように静岡に多くの宿場町が点在し多くの人の出入りがあった。そういう点では恵まれていたと思われる。しかしあくまでも経由地であり文化の種が発生しても成熟や定着されずに、人と共に流出・消失してしまったのではないだろうか?また小さなコミュニティが生まれても都市に同様のそれ以上に大きなコミュニティがあるため、成熟すると流れてしまうことも多いように思う。
次に閉鎖性について。これは派生性と同じような説明になってしまうが、交通は東海道と言う重要な路が存在するため江戸からも京都からも近くとても利便であり外側からの影響を少なくすることにより生まれる独自性の高い文化というのは育ちにくい環境となっている。また都市に近いので娯楽に対する欲求が生まれても、そこに行けば簡単に解決されてしまう。(江戸時代の男性1日の移動距離は10里(約40km)といわれている為、静岡県の一番東部の三島宿で江戸から距離が約112kmなので2.8日で着く計算となる。また静岡の一番西部にある白須賀宿で京都から約120kmぐらいのため3日程度で着く。)


4.文化を生むためには
前項で静岡を題材に説明した問題点からわかるように、簡単に言えば2通りの方法がある。
・「内外より人を多く集め定着させる」
・「外界から断ち切り娯楽を減らすことにより欲求を高める」
では、具体的にどうすればいいのか?
沢山の人にその土地に住んでもらうために、土地や家屋、施設等の充実によるコミュニティを作りやすい環境の提供。住みやすい都市づくり、全員が大山倍達のように片眉を剃ってその土地にこもるなどいろいろあるけれど、こうやって書くとなんか政治家みたいで急に書くことに萎えてきたので割愛します。


最後に、その土地に文化がないということはそれを求める欲求が潜在的にあるということ。ないということはあるということに限りなく近いのだ。